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【県指定文化財】大慈寺書院
大慈寺は、興国元年(1340)に志布志城主、楡井頼仲によって創建されました。文安元年(1448)には、幕府より臨済宗十刹の列に加えられ、南九州第一の禅宗寺院となり、江戸時代にかけて広い寺域には十六の支坊が設けられました。大慈寺書院は、江戸時代末期(慶応元年)に建築されました。
鹿児島県は、神仏分離令に端を発した廃仏毀釈が、他の都道府県と比べて激しくに行われました。そのため、県内の近世以前の寺院建築は消失しています。
大慈寺も廃仏毀釈の対象となり、寺域が大きく縮小し、多くの文化財が散逸しました。現在の大慈寺は、旧十六支坊の一つである宝地庵の跡に再興されたものです。そのような経緯の中で、大慈寺書院は現在も建築当初の姿を留めており、本県で認められる唯一の近世寺院建築として極めて貴重な建造物です。
四間六間の平面の六室で構成される居住棟です。中心部の軸組部材の径と柱の面取りの寸法や、鴨居までの内法高など、随所に江戸時代末期の建築の特徴が見受けられます。